外国語を具体的に挙げると、例えば「英語「も」使える」という発想でなければ、実のところまったく意味がない。
日常の意思疎通で口先を動かした経験しかなく、専門分野の積み重ねどころか、基礎知識も知的好奇心もない「英語(だけ)が(半端に)使える」という残念な事例は後を絶たない。
残念か否かの判断方法として、
「その人が大学で何を学んだか?現今の知的興味は何か?」
「何らかの調査・研究職がつとまるか?」
「出身した大学や大学院のレベルはどれくらいか?」
「専門分野を明確に持つ場合、その源流や古典に徹底して通じているか?」
といった問いが挙げられる。
特に、複数の分野にまたがって(例えば、西洋古典にも数学・自然科学にも)通じていると、知的好奇心が強烈にある可能性が高い。
逆に、専門が外国語や国際関係論や学際分野だったり、古典に親しむ余裕がなかったり、営業職だけしか経験がなかったりすると、知的好奇心に乏しい「口先だけ」の層が一気に目立ち始める。
自称国際派が”Greek to me“としか言えなくなってしまう分野ばかりの問いだよね。