バイアスや矛盾を含む可能性を承知の上で、理屈と感覚を交差した一点に向け、集中し切って確信犯的に出す視点が「断言」だとしよう。
ここには、
・気楽に孤独を楽しむ勇気
・人やものごとを余すところなく網羅し包み込む自由な知性
・無言のうちに湧き出る威圧感
が必須である。
これらが揃っていなければ、断言は「しょぼさ」を演出してしまうだけでしかない。
マウンティングをする人が情けないほど必死だったり、
確信犯的な極論が知識不足に過ぎなかったり、
正しさばかりを一方的に主張する、
そんな発言がただの阿りに見えたとしよう。
この感覚はいずれも、上の3つのうちどれかが欠けているときの現象だ。
「あれ?この人、オピニオンがしょぼくなった?」
上の3点を通じて、そういう断言を導けるかもね。
「何が何でも断言すべき」という断言が、本当に必要かどうかはさておき。