「バイアス」の扱い方

daily0 本音たち。

公私を問わず、メディアは何らかの意図が明示的または暗示的に存在している。

この意図こそ「バイアス」だ。誰かに物事を的確に伝えるには、書いたものがどのように解釈されるかを、徹底してコントロールする意図が必要である。

このとき、何らかの偏りが不可避的に生じてしまう。メッセージを的確に伝え続けるには、バイアスを避けて通れない。むしろ、物事には全て、何らかのバイアスがあると思っておくくらいでちょうどいい。

また、科学的手法に固執しすぎて、既存の手法を通じた追認に終始し、実のところろくに先行研究も調べていないような恣意的で残念な状況は、多々生じうる。これも一つの悪質なバイアスだ。

バイアスをなくすことも、バイアスを嫌うという意図を実現するための「バイアスフリーというバイアスによる上書き」だ。それだけバイアスはなくしようがないのである。

メディアを分析的に見る側が、欠かさず持つべき意図ということなんだよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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