臆病であると自認できることは強みだ。
自己防衛もリスク分析もできるくらいの知識や常識が、そこにあるからだ。
両手両足がガタガタ震えても、どんなにみっともないと思ってもいいから、
「臆病を自認できている自分は、臆病の上位互換だ」
と、頭の片隅だけでいいから、堂々と信じてあげよう。
常識をわかっていて、敢えてそこを飛び越えることに、臆病の意味がある。
飛んでしまえば実はどうってことない、
実はそんな物事ばっかりだと気づければ、
実は臆病というのはある種の幻だと気付ける。
つまり、臆病とは懐疑心と行動力と気楽さを持つ入り口に過ぎないのだ。
どうしても怖いなら、無理に臆病を肯定する必要もない。
震えながらでも、ぼーっとしながらでも、何となく動くこともできる。
本や誰かの助けを借りたっていい。しがみつきながらでもいい。
情けなさを誰かとシェアしてもいい。
とにかく臆病を認めて動けてしまえば、それが数ミリであれ、上位互換のあり方なんだよね。