「10年先のビジョン」の照らし方

daily0 本音たち。

隠さず真実を言ってしまえば、就職の面接で聞かれるような、
「5年から10年先のビジョン」など、まともに答えられないほうが実は健全だ。

キャリアプランやビジョンなどというものは、
偶然の産物として生まれた結果論に過ぎないためである。

今日び、その組織や市場自体が突然無くなってしまうかもしれないし、
突然コンサルタントや経営者のような動き方をするかもしれないし、
宗教家になったり、ウェブ上でカリスマになってしまうかもしれない。

そのとき、キャリアプランやビジョンとは、
絵に描いた餅どころか、退屈な妄想でしかない。

現に、資格持ち(医師、弁護士、公認会計士・税理士ないしそれ未満)や、
その他専門職や、成長の見込めない零細経営者にありがちな話として、
「自分自身が持つ過去の常識から脱せない」という事実がついてまとう。

過去の常識から逃げられず、古臭いまま取り残されていると、
のんべんだらりと他人様に「10年先のビジョン」を不用意に尋ねてしまう。

企業継続の前提(ゴーイング・コンサーン)からそのように言っているのかもしれないが、
継続しない前提に常に注意を払い、新しい流れを作らないでいると、
その行き着く先は「おしまい」のひらがな四文字だけである。

面接での「10年後のビジョン」の尋ね方が、もし仮に、
「あなたは向こう5年から10年で、常識をどう壊しているか」
という内容であれば、お見事だと言える。

将来予測をしつつ、将来予測が当てにならないことまでを、
質問に組み込むことができるためである。

数理モデルや財務モデルに強い人の視点で答えよう。
モデリングやシナリオ分析を通じた将来予測を生業する立場としては、
突然前提が成り立たず、シナリオをゼロから作り直すことなど日常茶飯事だ。

つまり「10年先のビジョン」などのんきに尋ねること自体、
「私は変化に適応し、偶然を活かすつもりがありません」
と自己紹介していることにしかならないのである。

現実を直視し、偶然を活用していくという視点こそ、
先のビジョンにとって最も大事なんだよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

boxcox.netを講読する
タイトルとURLをコピーしました