スピリチュアルや占い師といった系統の人々に、お金を払い続ける人がいる。
心の安寧が、本や映画や舞台鑑賞と同様な淡々とした流れで、
サービスとして買えるならば、それ自体は全く悪いことではない。
スピリチュアルや占いという分野は、
「判断や決断をうながすビジネスモデル」
「言葉を与えて気づかせるビジネスモデル」
であり、本来は「あなたが判断と決断をするためのアドバイザリーサービスですよ」と明示すべきである。
これが問題になるとすれば、そもそもビジネスであることを隠し、
事実を歪めるきっかけを作り、お金をぼったくられ、
最後には身を滅ぼしてしまうという流れにある。
最後には身を滅ぼしてしまうという流れにある。
自分で判断も決断も行動もできなくなるサービスは、
スピリチュアルだろうと占いだろうとコンサルティングだろうと、
ずさんなサービスでしかない。
スピリチュアルや占いから、自分の判断と決断で行動するためには、
「仮に自分が全知全能の神様だとしたら、あるべき姿をどう判断し決断して創り、過ちをどう赦すだろう?」
とシンプルに想像してみるだけで十分だ。
この考え方は「なろう系」という小説のジャンルが存在と全く同じである。
全ての物事は、自分を主人公にした作品に過ぎない。
想像が足りずおぼつかず…と思うのであれば、
四書五経やギリシア古典やローマ古典、旧約・新約聖書やコーランやタルムードなど、
様々な知識を引っ張って想像しても良いし、これらを漫画で読んでもいい。
あるいは入り口として、もっとシンプルに、
「こっそりと上から目線で眺め下ろして、赦す」
という視点を頭の片隅に置くことから始めてもいい。
最低でも中学校の社会科の教科書にあるような、
「三大宗教」の知識くらいは持っていたほうがいいが、
大急ぎで実行に移したいのであれば、シンプルなものでも構わない。
スピリチュアルも占いも、
政治家も社会問題も科学者も、個人の不安も、
この視点で堂々と眺め下ろしつつ、
あなたの目線と知識と感性で赦してしまえばいいのである。
全知全能が無理だとしても、自分の小ささを顧みて学んで動けば、
取るべき道や発すべき言葉が、かっこよく浮き彫りになるんだよね。