人生の節目において、分不相応な「棚ボタ」「ラッキー」が起こることがある。
このような時、まず取り組むべきは、ちゃんと実力をつけて追いつくことだ。
ただ棚ボタだけで終わらせると、性格も実力もねじ曲がってヘナチョコになるためだ。
例えば、部活で普段のメンバーがなんらかの理由で大会に出られない際、たまたまラッキーで後釜としてレギュラーになれたとか、
もともと意識低く中堅大学の推薦を使おうとしていたが、高3の年に難関大学の推薦枠がたまたま1つ復活して滑り込みで合格したとか、
当初は外資企業の非付加価値部門の管理職でしかなかったが、事業再編で本来ならありえない大抜擢でカントリーマネージャーになったとか、
そのようなケースが棚ボタであり、いずれも分不相応な出来事である。
このような状況に甘んじて実力をつけることを怠った場合、その人の末路はまず悲惨だ。
自意識過剰な割に、準備も実力も不足しているというヘナチョコさんゆえ、どこかで消えてしまう。
実力が伴わないのに、実力が高い立ち位置に達すると言うことは、どこかで嘘をつかねばならない。
ということは、どこかで無理して「実力があるように見せかける(フェイクする)」ことを強いられる。
これがその人の得意技かと言われると、そんなことは決してない。
とはいえ、その空虚な高い位置を持って「これが自分の得意技だ!」とついうっかり思い込んでしまおうものなら、それは自分自身に「嘘をつくことが得意技だ!」とトリガーしてしまう。
となると、嘘がバレる原因となる実力者を毛嫌いすることになり、常に避け続ける必要が出てくる。
実力がある人を、嘘の理由やイチャモンをつけて排除することになり、嘘を嘘で塗り固めることになるのだ。
もうお分かりだと思うが、原因を真っ先に他人に求めるということは、常に怯えて生きねばならない。
自分が悪いと素直に認められず、事実をありのまま受け入れられず、学べないまま性格が悪くなるコースまっしぐらなのである。
ラッキーがあったばっかりに、最低最悪の急転直下を見せるのは、このような状況だ。
私は常に「自分の人生には『好き』を満たすべきだよ」と言い続けているが、その真逆を取るしんどい愚行がこれなのである。
現実解。
ラッキーは実力をつけるきっかけでもあるから、必ず「しっかり食らいつく」ことをしておこう。
食らいつくとは、ちゃんと目の前に起こったラッキーな物事を分析して消化しておくことだ。
消化して振り返り、自分の得手不得手を把握できれば、実力を追い付かせられる。
追記。
ラッキーで不幸になってしまう人は、実に「惜しい人」なんだよね。
boxcox.net、遠藤武。