なぜ古典を読むのか。

daily2 素朴な疑問。

インフラや湯水や酸素のごとき、基礎知識だから。

特にギリシア古典や、古典ラテン語の文献は、民主主義も法律も政治も文芸も自然科学も数学もカバーする、大昔からの道路のようなインフラだ。

学術知識を扱うには、まず上記の事実が分かっていることが必須なんだけど、それに気づかない研究者や物書きは、翻訳文化の強い日本語圏では、実は少なくない。

現実解。
義務教育から高校レベルの知識を学んだら(学び直したら)、その根底に古代ギリシアや古代ローマや四書五経のネットワークがあると意識して、学問の世界を踏みしめよう。

古典を「権威主義だ」「非科学的だ」と不用意に終わらせてしまう人なら、なおさら「先駆者の踏みしめ方と苦悩」をトラッキングするといい。

自分の生き方を古典に写し込み、目の前の物事やふと思いついた物事を言語化できたなら、それが古典の威力。

..遠藤武

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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