基本的な知識や経験がある人からすれば、
仕事や学問で本音を出し実践を積むことが一番の教材だ。
特に失敗から学ぶことは一番尊い。
現実解。
もし本音が出せないとか、
失敗が多すぎて学ぶどころではないとか、
苦労話ばかりが先行してしまうなら、
それは単なる基礎力不足だ。
義務教育レベルの算数の実力が足りていないのに、
中学レベルの二次関数や高校レベルの微積分を、
出来もせず無理やり解いているフリの状態と言い換えていい。
これは解いているフリでしかなく、時間と労力の無駄だ。
そもそも問いの選び方からして間違っている。
算数の文章題で問題文を読み違えて大ハズレの式を立ててしまう経験があるとしたら、
それと同じか、それよりはるかに身にならない間違い方をしていると言っていい。
間違えるなら「部分的に式の立て方を間違えた」「計算ミスがあった」というような、
部分点がもらえるような間違い方が正しい間違い方である。
そうでない間違い方は、そもそも試験で名前を書かずに0点をとってしまったり、
センター試験や共通テスト当日にマークシートが1つずつズレていたりと、
ゾッとしてしまうような間違い方だと相場が決まっている。
試験であれば「そんなバカな間違いしないよ」と自分で気づけるかもしれないが、
試験ではない物事では、気づかずそのようなバカげた間違いをしてしまうのである。
これは非常にもったいないし、そのようなもったいない間違いに気づけないまま、
仕事や人間関係を進めてしまうのは気の毒である。
そんな不器用な人に向けて毎日デイリーレポートを書いているのだけれども。
もし奇跡的に読んでくれているあなたが、
「あー!その通りだ!」と実感するなら、
その経験は最高の教材だと断言できる。
本音と実践から学べているからだ。
そうでなく、本音にフタをしてしまい、
事実というデータから目を背けてしまうと、
実践も行動もままならなくなってしまう。
ひどい大間違いをしたときこそ素直になってみれば、
それだけでその場で学べる。
不要な失敗から嫌な思いをする必要はないが、
嫌な思いをしたならそこから強引にでも思考を変えて学ぶしかないんだよね。
事実は変わらずとも思考は変えられるから。
現実解。
思考が変われば、それは読書体験と同じくらいのインパクトがある。
読書が大事なのは、思考が変わる最高の教材だから。
boxcox.net、遠藤武。