「人間にとって究極の武器は何か」と問われたら、
「頭脳」だと即答している。
老いに抗う研究は数多くなされているが、
いますぐ不老不死になることはできない。
現時点では時間の経過に勝てないことになる。
ただし、思考と行動を重ねている限り、
むしろ歳を重ねることで「円熟」と、
評されることにつながる。
その結果、成し遂げた物事が、
文化や科学の大いなる遺産として残り、
時間と空間の制約を超えていくことになる。
この真逆として、
老いの残酷な例を挙げると、
頭脳を使わない肉体労働の場合、
単なる肉体労働以上に、
その周辺の文化や食生活や、
決して高いとは言えない経済レベルの影響を受け、
頭脳を使う余裕がなくなってしまい、
肉体のケアにも影響が出てしまうのだ。
例えば子役で知られていた人が、
成人して以降でメディアに出てきたとき、
「実年齢+10」にしか見えない外見まで老けこんでいることがあるだろう。
時間を超えるどころか、
時間を必要以上に浪費してしまうことにならないだろうか。
この理由は、
「よく寝て、程よく食べて、程よく肉体を使ってケアし、そのためにしっかり頭を使う」
ということが出来ずにいただけなのである。
10代で年相応を超え老けて見える人は、
20代以降であまり外見が変わらないとは良く言われてきている話だ。
これは半分は正しいが、もう半分は情報不足でもある。
令和の今となっては、
外見のケアと内面のケアを施し、
頭脳プレーすることが、
カラダと心のハリを保つポイントなのである。
VUCAという不確実性がついてまとう世の中であり、
10X(10倍)やMTP(1万〜100万倍)という志向が求められる今、
データドリブン化による頭脳プレーが、
いままで頭脳プレーと言い難かった分野に、
相次いで展開させているのがDXだ。
ということは、
特定の分野や特定の立ち位置に囚われて、
頭脳プレーできずにいるという状態は、
どのような分野でも、
古臭い昭和のサラリーマンと同じ状態なのである。
リモートで仕事をすることが当たり前になったことも、
DXがもたらした文化であり、
アプリやパソコンやスマホという、
頭脳プレーの産物によるもである。
5年か10年前の「対面オンリー」の価値観は、
頭脳プレーの彼方に消えてしまっているのだ。
また、本来は頭脳プレーだったはずが、
実質的に頭脳を使わなくてもいいような、
ヒエラルキーやテンプレートのある特定業界は、
何も考えなくても出来る肉体労働のごとく、
頭脳プレーの真逆として没落していっているのは、
DXの結果として明らかだと言っていい。
現実解。
頭脳を使って、外部環境も内面も妄想する方が、
時間と空間を超えた価値を作れてしまう。
既存の価値観が揺らいでいる今は、常に大チャンス。
boxcox.net、遠藤武。