世紀の発見であれ、
隷属からの解放であれ、
「これはおかしい!」
という本音を貫いて、
自分から行動することでしか、
物事は全て変わらない仕組みでできている。
要は自分が当事者にならないなら、
世紀の発見は出てこないし、
ずっと隷属に甘んじてしまうのである。
幸いなことに、令和の日本では、
中世や近世のように非人道的で惨たらしい状況には、まず出くわさない。
(もしそうだとしても、急いで駆け込む先がいくつもあるのは救いである。)
ということは、
「おかしい!」と思いのまま声を上げることは、
自分の権利として認められているし、
それを体現して自分のポジションを作ることも可能ということだ。
そうやって声を上げてきて、
行動と学びを重ねたからこそ、
自分の先祖が生き延びてきたと思えば、
あなたが今生きていることそのものに、
ありがたみが出てくるのではなかろうか。
せっかく奇跡的につながった命だからこそ、
学びながら有利に違を唱えるくらい、
堂々と欲張っていいのである。
現実解。
明日生きたくても生きられず、
隷属するしか無かった過去の人々からすれば、
今こうして日本語で、
「おかしい!」と、
生き方を問う思考ができている時点で、
儲けものなんだよね。
現実解。
「おかしい!」といっさい言い出さずとも、
行動と思考で同じかそれ以上の成果を出したっていい。
不言実行は、したたかの極み。
boxcox.net、遠藤武。