「教育産業」を、学習塾や受験予備校に絞って考えてみよう。
教育産業の質が、お世辞にも高いとは言えないのは、大学の現状が強く影響している。
誰かにものを教える立場の割には「アカデミックスキルがろくにない研究者くずれ」だとか「教育心理学の本すらろく読んだことのないアルバイト学生」のような人が大多数を占めるのが、教育産業だ。
また、教育産業で扱う独自テキストの出来は、市販の書籍に比べてどう考えても良いとは言えない。
そもそも、市販されている書籍の著者(研究者や専門家)のインプットとアウトプットの質には、教育産業では足元にも及ばないのが実情である。
他方、中学受験や大学受験でトップ校に合格した実績があれば、大学生くらいから関われてしまうのが、教育産業の面白く興味深いところではある。
ただし、それをサービスとしてみた場合、「権威っぽく見える、権威ではない何か」を振りかざす状況が見えてしまう。
いい加減な品質管理しかしていない事実は、否定しようがない。
この「権威っぽく見える、権威ではない何か」の源は、教育産業が合格実績を出そうとする、あるいは教育産業に関わる人がお世話になる「大学」だ。
教育産業は、大学への橋渡しという立場であるため、権威があるように見えるのである。
では、教育産業を抜けた先にある、大学という場の現状はどうか。
日本のトップ層の大学の大半で、議論したりペーパー執筆やリーディングや演習やプレゼンレーションに追われたりする、アカデミックなプログラムは、初年次教育で徹底されているわけではない。
それどころか、入ってからも「単位取得のための試験対策」という、議論すらしない、マスプロ式の情報処理に腐心する始末だ。
これでは、大学生や大卒者に「大学とはつまらない場だ、授業など意味がない」「むしろ予備校のほうが充実していた」と誤解させてしまうだけである。
この「トップ層の大学での質の低い知的水準の思い出」「予備校での経験の思い出」が悪循環となり、教育産業のスタイルを低質化させてしまっているのだ。
これに悪影響を受けた人が、大学や教育産業にどんな見解を持っているかは、自分の目と耳で確かめてみるといい。概ね「役立たず!」という声だ。
まともにアカデミックスキルをつける場とならないことには、頭脳派かつ行動派のトップ層やリーダー層も生まれない。
つまるところ「教育産業は、大学教育の現状を映し出している鏡に過ぎない」ということなんだよね。