初詣のおみくじの結果や、今年の星占いランキングの内容に喜んだり落ち込んだりする人がいる。
そんな一喜一憂は、「自分を主人公にしたい」という思いのあり方だから、まずは前向きに捉えよう。
占いは、そこからイメージをふくらませ、行動のきっかけの自作自演にすればいい。
主人公として、主語を自分に置けば、全ての物事は「自分の行動の分析」に行き着く。
脇役ではないのだから、それ以上でもそれ以下でもない。
主人公として自分の人生を生きようとすると、行動の結果そのものを事実ありのまま見つめることになるのだ。
このとき占いもその結果も、いかなる学問と関係がなく、
あくまで自分を主語として自分のありかたを分析するだけだと気づける。
おみくじに書かれた和歌や漢詩も、占いの結果も、自分を分析するためのメディアなのだ。
ゆえに、ついうっかり占いを主語にして一喜一憂するというのは、もったいない。
主人公として占いと関わりたければ、
「良い内容の場合は、素直にそのまま動く」
「そうでない場合は、素直に対策を打っておく」
という素直さ優先に徹すればいい。
現実解。
自分が主人公なのだから、一喜一憂せず自分の行動は自分で決める。
そのツールとして、占いと関わりを持つか否かだけの話だ。
追記。
この逆で、「面倒だから占いなど一切見ない・最初から全く関わらない」というのも、ひとつの行動である。
占いが混入しそうなメディアは「視界にすら入れず存在しないレベル」に持ち込む。
誤って占いを見てしまった場合「これは自分に対する理解も論拠もない迷惑行為であり、雑音やランダムノイズ」として無視する。
頭が悪く、社会的な立場も低く、誰でも名乗れる肩書きごときに、人の動きなど読み解くことなど出来ないから。
追記の追記。
正論から離れよう。
それよりも、生年月日占いの位置を1日見間違えて「自分は運がいい!」と思い込んで結果を出すほうが、よほど面白い占いの使い方だ。
実際にそういう人がいるし、私も同じことをやったことがある。
せっかくなら、自分「ならでは」の良いところが面白く伸びる行動に徹するほうが楽しいものね。
ボックスコックスネット、遠藤武。
