一意に定まらないはずの物事を、
強引に一意に定めようとする人は、
往々にして怪しいとみなされる。
経験ばっかりに囚われ、素直さを欠き、
それ以上の思考を広げるための余白が、
どこにも確保できなくなってしまうためだ。
不自然な言動やボキャブラリーは、
怪しいと感じる一番の材料である。
こういう人の特徴として、
言っていることの文脈や知識が、
理にも情にもかなっていない点が挙げられる。
まずは、
経歴や嘘に騙されてないようにして、
虚心坦懐に眺めてみよう。
怪しいとされる人は、
不用意に小難しい単語ばかりを使うか、
不用意に物事を単純化しすぎてしまい、
力みがちで粗が目立ってしまうと気づける。
そんな怪しさを排除して、
独自の発想をアウトプットしたいなら、
「言語化されていなかった物事を言語化する」
くらいのスタンスで十分なんだよね。
怪しくない、自然な創作というのは、
力んでいないし、仮に力んでいたとしても、
それが「ホラ話」「フィクション」だとわかる。
ホラを吹いてみるチカラが欲しいなら、せめて、
「この場合、嘘にならないホラとしての物事の見せ方って、どういうものだろう?」
ということに注意してみよう。
人によっては、頭の天辺から足の小指まで、
思いっきり自然な天然物のお芝居漬けということもある。
すべての物事が、ある種のお芝居かもしれない。
そんな解釈の余白ができたら、違いを見分けるチャンス。
..遠藤武