怪しい物事と、そうでない物事。違いはどこにあるのか。

daily2 素朴な疑問。

一意に定まらないはずの物事を、
強引に一意に定めようとする人は、
往々にして怪しいとみなされる。

経験ばっかりに囚われ、素直さを欠き、
それ以上の思考を広げるための余白が、
どこにも確保できなくなってしまうためだ。

不自然な言動やボキャブラリーは、
怪しいと感じる一番の材料である。

こういう人の特徴として、
言っていることの文脈や知識が、
理にも情にもかなっていない点が挙げられる。

まずは、
経歴や嘘に騙されてないようにして、
虚心坦懐に眺めてみよう。

怪しいとされる人は、
不用意に小難しい単語ばかりを使うか、
不用意に物事を単純化しすぎてしまい、
力みがちで粗が目立ってしまうと気づける。

そんな怪しさを排除して、
独自の発想をアウトプットしたいなら、
「言語化されていなかった物事を言語化する」
くらいのスタンスで十分なんだよね。

怪しくない、自然な創作というのは、
力んでいないし、仮に力んでいたとしても、
それが「ホラ話」「フィクション」だとわかる。

ホラを吹いてみるチカラが欲しいなら、せめて、
「この場合、嘘にならないホラとしての物事の見せ方って、どういうものだろう?」
ということに注意してみよう。

人によっては、頭の天辺から足の小指まで、
思いっきり自然な天然物のお芝居漬けということもある。

すべての物事が、ある種のお芝居かもしれない。
そんな解釈の余白ができたら、違いを見分けるチャンス。

..遠藤武

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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