明確な答えがない物事について、何らかの答えを見出したい。
そのためには、前例を知りつつも、いっさいの疑いを許さない前例主義には陥らない。
また理論上も実験上も合理性があり、可逆的(=戻ってこられる)なら、その方法を試す。
そうやって、答えを近似していくしかない。
「それは間違っている」と頭ごなしに言われてしまうような物事は、
往々にして、前例を調べ尽くされることなど全然ないし、
理論上も実験上も合理性があるか否かを問い尽くされることもない。
これはどういうことかというと、「疑い不足」だ。
猛烈な批判を食らう物事が、単なる前例の踏襲による否定なのか、
メカニズムや事例まで出し尽くした上でのまっとうな批判なのかは、
実のところ、あまり問われることがないのである。
そもそも、答えが存在しないのだから、
疑いながらも肯定していくしかない。
間違いから学ぶことが一番求められる、
そんな離れ業なんだよね。
..遠藤武