「なるほど」と、未知の物事を学ぶ。
「必要だ!」と感じて、未知の物事を学ぶ。
この本質は、どちらも自作自演だ。
現実解。
いずれも根底には、自分の納得感がある。
まずは、無理やりでもいいので納得しよう。
自作自演のはじまりだ。
仮に違和感があっても、
「すごい!」「面白い!」「くやしい!」があるなら、
少々強引でも、意識的に納得しておけばいい。
素直に負けを認めるくらいでちょうどいいのである。
納得感を得られない・得ようとしない人は、
授業を何十回受けようと、本を何百冊読もうと、
「すごい!」「面白い!」「くやしい!」を受け入れない。
要は、何千の物事を経験して、何万時間を過ごそうと、
素直に学んで成長するきっかけを失っていく。
人生を80年とすると、70万800時間だ。
これが多いか少ないかはさておき、
時間を有効に使うなら、
1秒でも早く自作自演して、素直に事実を受け入れて、
1つでも多くの現実解を出していくほうが、
楽しい人を巻き込んで、楽しく成長できる。
無駄な努力に逃げる時間など、いらない。
その道のプロに教わるほうが、速い。
自作自演とは、
すぐ出来ることと出来ないことを見分けて、
自分にとって有利な舞台で、
心底充実して自分の役割を演じることなんだよね。
であるなら、自分に有利な台本を書けばいい。
そのために、堂々と自作自演を深堀りしていけばいい。
自作自演がかっこ悪く聞こえるのは、
圧倒的多数の自作自演する人が、
多数派のご多分に漏れず、実力不足だからだ。
自作自演がかっこ悪いのではなく、
実力不足がかっこ悪いだけなんだよ。
匿名掲示板で自作自演したり、
明らかな宣伝を「宣伝ではない」と言い張る、
ステマそんな逃げるのは、実力不足がバレているから。
実力がある人の自作自演は、常にかっこいい。
どうせだったら、実力をつける過程さえ、
堂々と自作自演してしまっても構わない。
言行一致がかっこいいことと、文字通り一致する。
最上位レベルの大学受験にパスすることや、
難関資格試験にパスすることかもしれないし、
頭と身体の両方を使って堂々と稼ぐことかもしれない。
頭で思い浮かべた言葉を、身体を動かして行動して、実現していく。
学ぶとは、自作自演。
言行一致とは、自作自演。
それくらいカジュアルなほうが、挑戦のハードルが下がるし、
自分が輝ける舞台を得やすいんだよね。
boxcox.net、遠藤武。