「そんなことわかってます。けど…」と頻繁に言い出す人がいる。
この本音は「全くわかっていないが、素直に認めず、わかったフリをしている」と気づこう。
素直に「けど…」をやめ、「やりました」に変えた数だけ、人は変化を創れる。
現実解。
「そんなことわかってます。けど…」「理屈ではわかっているけど…」
このような「けど語」とは、自分と周りのエネルギーをゼロまで削いでしまう。
「けど語」とは、何でも他人のせいにする依存心のカタマリであり、
「さげまん語」だと言っていい。
ここから変わりたいのなら、一切「けど語」を使わないことだ。
その代わりに「このようにやりました、ありがとうございます」という、
「やった語」を素直に使うようにしよう。
要は「けど語」をやめ、具体的な行動である、
「やった語」を増やしていけばいいのである。
例えば、「やった語」を増やしていくとはどういうことか。
経営や恋愛や勉強に関し、私が相談を受けて出したロジックについて、
「そんな理屈があったんだ!試してみます!」
と素直に受け止め、まず具体的に動いてもらっている。
具体的には「言動を変えました」「関わる人を変えました」
「本を読んで実行しました」というちょっとしたことで十分だ。
「やった語」の成果に飢えているために、「けど語」は、一切出てこない。
「やった語」を増やすだけで、前向きな変化の種を創れるのである。
逆に「けど語」がたくさん出てくる人は、
常に「やった語」がない状態だと言い切って構わない。
「けど語」ばかりの状態とは、隠さず言えばただの嘘つきだ。
そもそも「けど語」に逃げる人は、率直に言って、
依存心が強いくせにプライドだけが高い、お子様である。
要は、素直に自分の欲求と向き合わず、
現状の常識やシステムの内側ばかりに囚われ、
自分で物事を考えない「その他大勢」ということである。
これには、学力や社会的地位は一切関係ない。
「けど語」に逃げていると、具体的にどうなるか。
どうでもいい各論に逃げ、孤立無援になる。
組織では厄介者扱いされ、会議での発言権がなくなる。
誰かに悩みを相談しても、相談の本質を曖昧にし、自分の悩みとは無関係な話題にずらす。
無関係な話題にずらし、行動しないから、年収は下がっていく。
行動しないために、本質は何も変わらず、いつの間にか落ちぶれる。
ここで言う「やった語」も「けど語」も、私が一次情報や読書から学んだことが下敷きにある。
あなたが、素直に学んで行動する「やった語」ユーザーになるのか、
あなたが、その他大勢として「けど語」に流される人生を歩むのか、
それは純粋に、個人の選択の積み重ねである。
個人の選択の積み重ねの向こうにある、近い将来の話をしよう。
「けど語」に満たされた、口先に逃げる人が目の前にいたとする。
あなたが「やった語」で成長するなら「けど語」とはいずれ関わらなくなる。
自分自身でも「けど語」がゼロになり「やった語」が増えていくことに気付けるだろう。
無意識のチカラとは強烈で「けど語」で口先に逃げると、
それだけ「やった語」という自分からの行動への機会が、
あっさり消えてしまうのである。
変わっていく過程とは、全て過去形であり、かつ具体的だ。
「けど語」に逃げるとは、「やった語」という実績が何もない現状維持だ。
行動という具体的な実績がないまま「理解したフリ」を続けるのか、
行動という具体的な実績を残して「体当たりで腹落ちする」のか。
私が実際に行動した経験でも、
私がアドバイスした人たちの実績でも、
「けど語」を自分から出すことをきっぱりやめたり、
「けど語」を出す人とあっさり別れたことが、
成長の転機になっている事実を付け加えておこう。
(追伸)
長々とした報連相や感想文から、卒業しよう。
よけいなことを書かず、3行で「やった語」を告げたほうが、
仕事でもプライベートでも、ラクにプラスを創れる。
boxcox.net、遠藤武。