どんな小さなことでも、愚直に積み上げておくと、信用される。
これは、単にストックそのものが信用されるだけの話ではない。
敢えてストックを崩すと、信用される以上に、愛される。
現実解。
信用のストックがあるからこそ、たとえ本音を言っても、
「この人がそう言うなら、笑って受け入れてみよう。」
と、あっさり肯定してもらえる。
これは、ストックがあるからこそ、
ストックを切り崩しても問題がないくらい、
自分に余裕があるということだ。
いちいち忖度が必要で、
「次に何を言えば評価してもらえるだろう……」
「どうやったら嫌われないでいられるだろう……」
なんて考えてしまうと、息が詰まって仕方ないものね。
厳しい意見も、極端な妄想も、
お互いあっさり言い合える立場だからこそ、
なおさら愛される。
単にストックがあるから愛されるのではないところが、面白い。
ストックを、まじりっけない本音に乗せれば、
自己主張する必要すらない。
むしろ下心でさえ、どこかで肯定されてしまうんだよね。
下心丸出しでオッサンオバサン臭く攻めていくのは、
残念だけど自己主張しているだけ。
信用を取り崩して、目の前にいる人のために使ってあげる。
自己主張なのか他己支援なのか、渾然一体としていて、
依怙贔屓されてしまえば、最強だ。
楽しく自然にストックを溜めて、
その上で敢えてストックを崩せばいい。
愛されたいのなら、お互い依怙贔屓して、
少し勇気を出してストックを渡しあってみればいいんだよね。
boxcox.net、遠藤武。