実用性があって、成長を助けてくれるなら、わざわざそう呼ばずとも、それは自己啓発だ。
小説でも哲学書でも数学書でも、次のアクションを作れたら勝ち。
「自己啓発は不要!」と声高に叫ぶ必要より、行動に移したほうが美味しい。
現実解。
自己啓発という言葉を使い続けるのか、
すべて成長という言葉に置き換えるのか、
それは些末な話だ。
「自己啓発なんてもういらない」と言い出す人が、
それって自己啓発書でしょ?
としか思えないような本にハマってしまうことが結構ある。
「自己啓発不要論」を言い出す割に、
それって自己啓発じゃん笑
という、プロフェッショナルと言えないサービスを出している人は沢山いる。
事実は事実として認める必要がある。
投資対効果が見込めないものや、
次のアクションが作れないものに、
わざわざ時間やお金を使う人はいない。
この逆で、投資対効果が明瞭なら、
ビジネスは成り立つんだよね。
これに気付くか否かで、
あっという間に差がついてしまう。
ここだけの話を言ってしまうと、
ずっと自己啓発を否定して、
使われるままでいる人ほど、
虚心坦懐に物事を見ることもなく、
行動をすることもなく一生を終える。
20代なら、さっさと予習して行動してしまおう。
30代なら、40に近づく前にさっさと危機感を持って、孤独を楽しんでたくさん行動しよう。
40を超えていたら、周囲の環境や年齢のせいにして逃げたり、手遅れだと思うのをやめよう。
仮に手遅れ感や、実質的に手遅れだったとしても、突破口が見えてくるから。
それだけで、もう一度生まれ変わった視点で動き出せる。
放っておくほど、行動しなかった傷は広がる。
それよりは行動したほうが健全だ。
自己啓発や読書を「意味ない!」と感じたり、
ノウハウコレクターのままで終わるというのは、
アウトプットや行動につなげていないからなんだよね。
常にガクブルしたり、いちいち怒り出したりして、
こだわりを捨てられていない。
自己啓発以前に、単に頭が悪いと認めよう。
「私は頭が悪いので、素直に中学受験の算数を学び直しました。暗算と図形が面白かったです。」
「私は頭が悪いので、素直にプロの手を借りました。」
そう言い切って行動できる人は、セクシーだ。
実は爆発的に伸びるんだよね。
素直に学ぶことは、究極の自己啓発だと言っていいよ。
自分なりのフィールドを用意する形で学んだほうが、実は手っ取り早い。
自分から戦意喪失して学べなくなるより、
学べる要素を自作自演できるほうが、
実用的な伸びしろが用意できて、面白くなるんだよね。
boxcox.net、遠藤武。