ひっかかりの解消法。

daily6 人と技術と成長。

ひっかかりがある場合、一番すべきは「同じ画面を見ること」だ。

これはちょうど、一緒に映画や舞台を見ることと同じだと言っていい。

コミュニケーションが上手く行かないのは、単に同じ方向を向いていないだけ。

 

現実解。

「こんなコト聞いちゃまずいかなあ…」
「同じこと聞いちゃマズいかなあ…」
「そもそも発想がなかった…」

タブー視して次のToDoが出ず、
物事がひっかかってしまうというのは、
もったいないどころか、時間を燃やすことになる。

そんなとき、足りていないのは、
同じ方向にある画面を見つめるという動作だ。

何も、一緒に映画や舞台を見に行くことだけでなく、
言葉遣いを同じものにしたり、身振り手振りをあわせたり、
同じ瞬間で喜怒哀楽をシェアしたり…ということが挙げられる。

 

要は、相手の脳裏に湧くイメージを、
自分のそれと近づけていくことが論点だ。

例えばベートーベンの交響曲も、
「運命」という呼び名で知られる第5番の冒頭の「ジャジャジャジャーン」や、
第9番の歓喜の歌であれば、クラシック音楽に詳しくなくとも、
あっさりと脳裏にイメージができ、ピンと来るだろう。

他方、単に言葉じりを追って、正論をロジカルに説明するだけでは、
目の前にいる人は退屈になり、あくびが出る。

いかにベートーベンの交響曲がすばらしかろうと、
クラシック音楽ファンではない大多数は、
第5番の冒頭と、第9番の「歓喜の歌」を除けば、脳裏にイメージができない。
「カルロス・クライバー指揮のベト7(交響曲第7番)最高!」
といくら言おうとも、聞いた経験も興味もないのであれば、
100%引っかかってしまうだろうし、ベト7を聞いていても眠くなるだけだ。

 

ことロジックに関しては、人の本音が吹き込まれ、
話し手ならではのストーリーとして成り立ってこそ、
脳裏にイメージが湧くのである。

眠くなるようなお説教じみたロジックなど、
「聞きたい!」と思う人は、そう多くはないだろう。

少し脱線したとしても、話の本筋についてのイメージが共有できれば、それでいい。

同じ画面を見るために過程であり、必要な脱線だったと言えるから。

 

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

boxcox.netを講読する
タイトルとURLをコピーしました