人や物事を断ち切りたい場合、未練がありながら行うことが正しい。
極めて短期間のやせ我慢だけで、全ての物事が進んで行くからだ。
未練がありながらも切るやせ我慢は、あっさり未練を飛び越えて、実に清々しい。
現実解。
中期や長期で我慢はしないほうがいいが、
ここぞというときの超短期のやせ我慢は、
筋トレだと思っておけば、それだけで心地よくなる。
筋トレを長時間やっても効果は浅いし怪我もするが、
ほんの少しだけの限定的なやせ我慢だと思っておけば、
安全確実に鍛えることができるということだ。
未練をスパッと断ち切ることは、筋トレで筋繊維が切れることと同じだ。
未練や後悔や恥ずかしさがあるなら、
それがあるうちに認めてしまうほうが、むしろカッコいいやせ我慢なのである。
人や物事と別れたり切ったりする上で未練を引きずるのは、
どこかカッコ悪く感じるかもしれないが、
これは未練にばかりつい集中してしまうからであって、
断ち切ることと未練とは不可分だからこそ、
未練そのものを愛してしまえばいいのである。
私自身が物事に未練を感じることがゼロだと言ったらウソになるが、
未練は「よし!次に清々しい成長が来る!」という、
進化の合図というケースが、不思議と要所要所で多かったと実感している。
文字通り「未だ修練ならず」という意味だからこそ、
筋トレして筋繊維を断ち切ることで、成長できれば、それだけで極上の正解。
未練の良さとは、それが「鍛えどころに化ける」という点に尽きるのだから。
追記。
「周囲から惜しまれながら去る」ことを良しとする価値観があるが、
この本質は「自分が惜しみながら去る」という逆も含めていい点にある。
boxcox.net、遠藤武。