大多数での同調圧力から来る「我慢大会」に参加させられる理由はないけれど、
楽しく充実して目的を果たすために「修行としての我慢」を自発的に行う局面は大事だ。
例えば、ほどよく負荷がかかるようにうまく設定した筋トレは、気分が良くなる自発的な我慢である。
当然ながら、ペースを無視したり、合理性を欠いたりすれば、
それは見るに堪えず、心身を害してしまうことになりかねない。
個人的には、「スポ根」だとか「ありがちな厳しいだけの吹奏楽部」のような発想は、
頭を使わない我慢大会の押し付けという無駄な努力としか思っていない。
そんな状況に関与する必要はない。
それでも、ここぞと言うときに敢えて瞬間的に自分から痩せ我慢することには価値がある。
その先で壁を乗り越えるという、ある種の清々しさや美しさや快感があるためだ。
状況や気分を根本から変える上で、一瞬だけ我慢するという仕組みを、
少量のスパイスとして使えると、思考の血の巡りが良くなるんだよね。
ニンニクと同じで、摂りすぎには注意だ。