「遠藤さんは、なぜタバコもお酒も完全回避しているのですか?美容と健康のためですか?」
そう聞かれることがよくある。
美容と健康のためであることは、全くその通りだ。
かつ、特に飲酒は思考がブレないことを優先するためにそうしている。
但し、これは模範解答に過ぎない。
正論や善悪を超えた一番の本音は、美意識だ。
「せっかくのお気に入りの服にタバコのニオイがつく…」
「受動喫煙は殺人と同じじゃないか!」
という前提があるが、
それを「なんとなく」無視してしまう美意識のない行動を、
完全にお断りしていると言っていい。
健康管理の側面で見れば、他にも気遣う物事は多々あり、
いちいちカリカリと飲酒や喫煙を気にしてしまい、
かえってストレスを溜めてしまうのでは、
率直に言って全くの本末転倒だ。
だからこそ、敢えて提案したい。
模範解答や正論を聞き飽きたのであれば、
思い切って、美意識だけを見ればよいのだと。
飲酒も喫煙も、それ自体を否定する気はない(人間には自由に選択して生きる権利がある)。
模範解答通りの、自己管理だとか健康の問題に置き換える気すら、さらさらない(禁酒も禁煙も嫌々と同調圧力でやるのではなく自分で決めるべきだ)。
むしろ健康オタクほど、かえって突然亡くなってしまうことなど多々ある。
そうではなく、
自分の近くで行われているとき、
「あなたの健康と寿命を知らず知らずに奪います」
という立ち居振る舞いの美意識のなさについて、
それをいっさい自分の人生では受容しませんと表明しているのである。
人は美意識で好かれ、美意識で嫌われる。
実力のレベルが上がれば上がるほど、その傾向が色濃くなる。
実力のレベルが低いうちは、ちゃんと好かれるか、ちゃんと実力を付けるべきだが、
一定レベル以上は美意識の話になる。
美意識が許せないほど異なる人同士は、
どれほど実力が近かろうとも、
一切関わることはないし、
一時期に関わろうとも、
「ダメだこりゃ」となって、
フェードアウトしていく。
私がこうしている以上は、
他人も私にそうしているだろう。
私は、他人のその立ち居振る舞いを100%認めている。
自分の美意識が正しいと言い切るつもりなど、毛頭ない。
むしろ私の美意識は、一般に間違ったデタラメばかりだろう。
それでいい。
お互いに、それでいいのだ。
美意識を美意識として明確にできた時点で、価値観が形になる。
形になるということは、それを認識できて、お互いに決断できる。
単に決断の差に過ぎないのだ。
人間の根底にある美意識は、本音であり、
それを形にして決断することでしか、
人間は変われないし、成長もできない。
いくら正論を説いたところで、
変わらない人は絶対に変わらないし、
成長できない人は絶対に成長できない。
飲酒と喫煙を、美意識と絡めているのは、
それだけ人間の本音や迷いに関わるところだから、
目に見える範囲の模範解答で終わらせることに、
早々に飽きてしまったというのが本音だ。
現実解。
模範解答や理屈は大事だが、
理屈を超えた美意識を優先させていい。
間髪入れず「嫌だから嫌だ」と本音ベースで即答するための、
淡々とした、でも強烈なほどのコツだ。
追記。
どうしても許しがたいことがあるとき、
美意識の話にしてしまう方が楽なら、
それが最も爽快であり、
あなたを別次元にいざなう解決策だ。
boxcox.net、遠藤武。