死ぬ直前の後悔とは、つまるところ「好きなことを好きな人と好き放題やっておけばよかった」に尽きる。
ありきたりに聞こえるが、この後悔の最も怖い本質は、実際に死を目前にしてしまうと、はっきりとは聞こえてこない点にある。
もはや体力も気力も記憶も残らない死に際では、まともな言葉にならないのが現状だ。
一方、言葉になるものは様々だ。
「友達ともっと会っておけばよかった」かもしれないし、
「もっとお金に困らないようにすればよかった」かもしれないし、
「もっとあの人に優しくすればよかった」かもしれないし、
「ちゃんとあの人に謝っておけばよかった」かもしれないし、
「本当に好きなことを生業にして残業などゼロにすればよかった」かもしれない。
これらの様々な言葉が、表面的だからダメだと腐すつもりなど毛頭ない。
たとえ表面的だと罵られても、まずは自分の言葉を大事にしよう。
それぞれの言葉は、素直に出てきたものとして生かされるべきだし、
目先で見えた物事に素直に従うことからしか何も始められないためだ。
ふとしたはずみで言葉が出てくるというのは、何かひっかかりがあるのだ。
だからこそ、とことん素直に本質の存在を受け入れ、
単刀直入に「好き放題やらなくていいの?」と本音を問うことで、
はっきりと思い描いて、言い切ることのありがたみが浮き彫りになる。
現実解。
思ったことは、ちゃんと言い切ろう。
カドが立つ場合は相手を選んでいいし、独り言も立派だ。
取るに足らなくとも、言い切ってから後悔したほうが、有益な後悔に化ける。
boxcox.net、遠藤武。