辛抱や我慢を否定するつもりはないが、
それに頼ってしまう時点で、ちょっともったいない。
まずは仕組み化するか、そもそも仕組み化を飛び越えて、
勝手に手や口や頭脳が動いてしまっている、
そのような溢れ出す自動化をはかる方が先だ。
これは厳密には、単なる自動化というよりは、
「我慢ができない」という状況のことである。
誰かに職務命令を下されるわけでもなく、
法的に果たすべき義務があるからやるわけでもない。
とにかく熱中する物事を見出し、
少しずつチューニングしていくことである。
自分の場合は、そのチューニングの過程で、
マーケットレポートを毎日書いてリサーチを重ね、
統計モデルや財務モデルを構築して売り歩いた。
その延長で、SCMやファイナンスや経営管理の経験と習得を経て、
ERPやBIツールやプロジェクトマネジメントの知見を用い、
一次情報による経営課題のあぶり出しや、戦略策定と遂行を経験した。
今思い返せば、ただ単に熱中できるフィールドに移り、
ひたすら我慢せず溢れ出すように動いていたに過ぎず、
その成果は、あくまで結果的にもたらされた物事に過ぎない。
(このスタンスは今も全く変えていない。)
我慢に頼らなかったおかげで、表裏や下心を作らず、
ひたすら愚直に物事を捉えることができ、
それが素直に成果として跳ね返ってきているのである。
物事の最初の段階では、エネルギーを多めに消費するため、
少々の我慢が伴うことは、何ら不自然ではない。
いっぽう、我慢に頼り続けではぎこちなさが残り、
かえって成果に滑らかにつなげることが難しくなってしまう。
実は、そんな人のほうが多いことを強調しておこう。
..遠藤武